泣くことも、笑うことも 他にどうしようもないときに、人間がすることだ。
といったのはカート・ヴォネガット。だったと思う。
(こないだどうも酔っぱらって、ヴォネガットがどれだけ素晴らしいかを主張する、めんどくさい人になってたらしいのだけど全然覚えていない。というほど飲んだのは久しぶりでした、、、。同席の皆様、失礼しました!)
泣くことは、副交感神経(リラックスさせるほうの自律神経)を優位にする行為。 ということについての備忘録を。
なんらかの原因で、緊張が高まって交感神経が優位になり、 それが極まってくると、前頭前野が刺激されて涙が出る。
泣くことで、交感神経優位から副交感神経優位にスイッチする。
ホメオスタシス(恒常性)が働いて 自律神経のバランスをとっている。
ストレスが高まったとき、 泣いたり、食べたりしたくなるのは 身体が緊張から解放されることを求めて行うため。
泣く人ほど、実はストレスに強いんだそうだ。
ストレスを、泣くことで解放していることになる。 逆に泣くのを抑えてしまうと、、、。
男の子は泣くんじゃない、とか 人前で泣くなんて、とか 感情的になるな、とか
わたしは男の子じゃないけど そういう“禁止”を自分のなかに持ってきたなあと思う。
きっと日本人のなかには、抑えることの美学のようなものがあって、その美しさを大切に思っていた、ということもあるのだろう。
ただ、ちゃんと感情を扱わないできたことは、自分のなかのバランスを欠いてきたように思う。
人生もきっと折り返しになってきて、もうヴォネガットの小説も、わたしの中でごっちゃになってきたような気がするし、このまますべてはドリーミングのなかに戻っていくのだろうかなんて弱気にもなるけれど。
泣こう。
そして笑おう。