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冬至の日に死を想う


不思議なもので、今年は、ふとしたときに身近な人の「死」にまつわるお話を読んだり、聴いたりすることが多かった。

ある歌い手の方が、お父様を看取ったときに、ずっと歌を歌ってあげていたこと。

井上ウィマラさんが、お父様を見送ったときに、やはりみんなで歌を歌ったり、口の中をきれいに拭いてあげたりしたこと。

そうした姿を見聞きしていたことは、わたしに少しずつ影響を与えていたと思う。

橋本久仁彦さん(くにちゃん)の開催するミニカン(ミニカウンセリング)に参加したとき

「人が、死ぬ時に持っていけるものがあるとしたら、それは、人との関係性なのだ」 と、くにちゃんは言っていた。

そして「人は、誰かのなかに死んでゆく」とも。

死にゆくとき、誰かがそばにいてくれて、その人のなかに死んでゆけると思えたら、その人はどんなに安心して逝けるだろう、と思った。

もちろん、ひとりでひっそりと最期を迎えたいという人もいるかもしれないし、愛する人の腕に抱かれて死にたいと思う人もいるだろうし、ひとくくりにはできないけれど。

7月に、父が入院したという報せを受けて、千葉に帰ったときには、すでに延命治療をどうするか、という段階になっていた。5月に会いに行ったとき、ずいぶん衰弱したことに気づいてはいたけれど、全く心の準備がないことだった。

父に苦しい思いはしてほしくなく、できれば自然な形で、というのが家族の大まかな望みではあるものの、どうすることがよいのか、どうやって決断したらいいのか、知識も準備もなく、、、。

普段離れているきょうだいたちの考えや思いは、バラバラだった。それぞれが父との葛藤を抱えていたこともある。

ここ数年、表面上はおだやかになっていたけれど、こんなときに、これまでずっと見ないようにしてきた家族の葛藤に、向き合わされる思いがした。

死を迎える人とともにいるとき、何を自分の指針にしたらよいのか、あまりにも無知で無力であることを実感させられた。

ただひとつ、あったといえるのは、父の死を引き受けるという覚悟。

父には、わたしのなかに死んでいってもらおう、と心が決まっていた。

点滴を外してもらった日は、夕陽がとてもきれいで、夕焼けもとてもきれいで。

父に、ちいさな声で歌ったり、話しかけたりしながら、長い時間をそばで過ごした。

これまで話そうとしなかったわたし自身のことを打ち明けたり、子どものころの想い出や、父がわたしにしてくれたこと。

小さいとき飼っていた子犬の具合が悪くなって、どうしてよいか分からなかったわたしに、「そばに行ってあげな」と言ってくれたこと。

「いいんだよ」というように、父はゆっくり頭をうごかした。

父ともっと心で話したかった。 これからは、もっと心で話すようにするね。

点滴を外した翌日の夜、父は息を引き取った。 荒かった呼吸が次第に弱くなり、こと切れた。

それからの、なんと慌ただしかったこと。。。

けれど、三日間で、父とあらためて出会い直し、そして、お別れができたような気がしている。

看護師さんたちは、最後の最後まで、父が少しでも苦しくないようにと心を配ってくださった。

周囲の方たちの温かい気遣いに、心を動かされた。 ひとりでいたくないわたしに、会って話を聴いてくれた友人たちにも。

ヨガ、瞑想、仏教、死生学、と、自然にわたしの関心は向かってきている。 僧侶や研究者、実践者の方たちの真摯な態度や、温かい在り方に、自分をふりかえる。

大切な人を喪うということは、死者との邂逅でもある。 ということを、作家の若松英輔さんは書いている。 亡き人に対して語るのではなく、亡き人の声を聴くのだ、と。

そばにいた最期の三日間で、父に対して持っていた葛藤は、乗り越えたような気がしていた。

でも、その前には、できなかったんだな。 その根っこにあるものに、向き合うときだろうか。

「死ぬときに後悔する前に、できるときにすることで、人生の質が変わる。」

といったのは、NVCトレーナーのホルヘ。

今年あった様々の出来事、今年会った様々の人々は、わたしに何を教えてくれたんだろう。

小学生の頃、冷蔵庫で冷やした桃を食べようとすると、父に「あんまり冷たいと、味が分からないんだぞ」と言われたけれど、「いいんだもん」などと言って、冷たいままの桃を食べた、そんなことを、何十年も経った今でも覚えている。

2018.12.22 陰極まる冬至の日に。

一つの方向を向けば、他の方向を失う。まとまらないまま(いつもですが)、書いてはとめておいた言葉を、季節の節目に残しておこうと思います。

長い長い文を読んでくださって、ありがとうございました。


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